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2007年02月09日

ディボーションの恵み/サンデ・レイコ 姉

「ピピピピ・・・・」目覚し時計の朝を告げる音。
「今日も、主が造られた一日。私はこの日を喜ぼう。」
と起きる事が出来たなら、素晴らしいのですが、
数ヶ月前の私は、まるで大根かゴボウを土の中から引きずり出すようにして、
おきあがる日々が続いていました。
「私はクリスチャンなのに・・・・、まして教職を手伝う者なのに。」
そんな焦りの一方で、心を占領する虚しさに、
自分ではどうする事も出来ませんでした。
私のような者は、生きていてはいけないとさえ思えて来るのです。
そのような中で、私を支え、その一日を喜びを持って過ごす事が出来たきっかけは、
ディボーション(個人礼拝)を持つ事でした。
とりあえず、虚しさをそのまま受け入れ、朝、とにかく机の前に座り、
聖書を開きディボーションのガイドブックを開くのです。
「天のお父様、御子なるイエス様、ご聖霊様、三位一体の神様・・・・」
と主のご臨在を宣言します。

この主なる神様に向かって呼びかける言葉は、本当に大切だと思います。
全ての権威を持っていらっしゃる方の前に立つ事が出来る特権の凄さを、
この宣言は思わせてくれます。
ちっぽけで貧しい私が、
聖なる聖なる万軍の主の前に立っているイメージが頭の中に浮かびます。
すると、朝からの虚しさが徐々に消えて行くのです。
「神様が知っていて下さるのだから、全てが大丈夫なのだ。」
と平安になってくるのです。
全てが嬉しくなって来るのです。

私は今、「幸いな人」と「リビングライフ」
というディボーションのガイドブックを使って、礼拝しています。
二冊も使うと一時間から一時間半の時間を必要とします。
着替えもせず、チャンチャンコを着て座っていますので、
時々「掃除、洗濯、アレコレ・・・・」と焦ってくる時もありますが、
それらの思いをエイッと向こうに押しやって、
私にとって宝であるディボーションをする事を選び取ります。
家族の事、教会員の事、友人の事、塾の生徒の事・・・・と、
あまりにも祈る事が多いため、一週間のうちで、
グループに分けてノートに名前を書き記しお祈りしています。
すると、主は不思議な方法で祈りに答えて下さるのです。
その朝、深く主から示されて祈った人から、突然電話があったり、
ばったり買い物先で出会ったり、
ご本人が教会をひょっこり訪れて下さったりといった事がしばしばありました。
もちろん、長い間祈っても祈っても答えが与えられない祈りもたくさんあります。
しかし、主に何かのお考えがあるのだと思い、尋ね続けています。
そして、主を礼拝する事、否、礼拝させて頂く特権がある事の素晴らしさを思います。

「あなたのみことばは、私の上あごに何と甘い事でしょう。
蜜よりも、私の口に甘いのです。」
詩篇119・103

愛もなく、失敗ばかりする私のような貧しいものを生かし、
愛し、待っていて下さる主の御名を崇めます。

「主は羊飼い、私には何も欠ける事がない。
主は私を青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い、
魂を生き返らせて下さる。」
詩篇23:1

投稿者 bethany : 2007年02月09日 10:33

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