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2008年01月31日

御言葉の力と祈りと神様の愛

...愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。
礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、
不正を喜ばずに真理を喜びます。
すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐えしのびます。
愛は決して絶えることがありません。...(コリントI 13:3-8)
こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。(コリントI 13:13)
食べる人は食べない人を侮ってはいけないし、食べない人も食べる人をさばいてはいけません。神がその人を受け入れてくださったからです。(ローマ14:3)
日を守る人は、主のために守っています。食べる人は、主のために食べています。なぜなら、神に感謝しているからです。食べない人も、主のために食べないのであって、神に感謝しているのです。(ローマ14:6)
これらは、私が受けた今日の御言葉です。(落ち込みから立ち直りました。)

聖書を開き、御心を求めて読むと、いつも、他にもたくさんの御言葉が私を励まし、へりくだらせ、希望を与え、喜びと感謝で満たしてくれます。
神様は私達に、「祈り」という手段を、同じ(公平な)恵みとしてを与えてくださっています。クリスチャンはこのことを知っているから本当にラッキーです。兄弟姉妹達に祈られていることを喜びませんか。兄弟姉妹たちのために自分も祈ることができることを喜びましょう。「祈り」は神様との会話の手段だけでなく、兄弟姉妹たちと(神様が喜ばれる)良い関係を築く手段でもあるんですよね。

前述の御言葉の「愛」のすべての働きを全部自分が活かせてできているかと問うと、いっぺんにできないことばかりで恥ずかしくなります。でも、ひとつでもふたつでも「そう在ろう!」と思えるのは、神様が明確に語ってくださっていることを、私は知っているから。

神さまの愛が私の心を満たし強めてくださいますように。そして、同じ愛があなたの心も満たし、強めてくださいますように。そして、今日も私のために祈ってくださったあなた(兄弟姉妹)に心から感謝します。また、私も今日、あなたのためにも祈っています。信仰の友を与えてくださった神様に感謝します。私達の主、イエスキリストの御名によってお祈りします。アーメン

mn


投稿者 bethany : 2008年01月31日 23:14

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コメント

私はきょう1日、 Ⅰコリント13:1-3(mnさんの書かれた初めのみことばのすぐ前ですね)のところをずっと考えていました。 
『持ち物のすべてを貧しい人たちに分け与えても、自身のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立たない』という箇所です。
 なんと厳しいことばでしょうか。 『持ち物全部あげたなら、その動機が愛でなかったとしても、少しくらいは評価される、または意義があるといってもらってもいいんでないかい?』と思いたくなります。 でも、私の心の奥まで、隅々まで見られる神さまの視点は決してそうではないということを、強く教えられ、また自分の言動のすべての動機を省みる(省みさせられる?)ときとなりました。 『こうしてあげたら、夫も私に感謝するだろうし、私にも同じようにしてくれるかもしれないし・・・』という思いは、神さまには喜ばれないということを忘れてはいけないんだと。  
本当にはずかしくなるほど、愛からかけ離れた自分を見るときがあります。 また、2008から自分の生まれた年を引き算したら、『あらまっ、いつのまにこんなに大きな数字になったのかしら・・・』と驚いてしまう年齢になって、近頃めっきり忘れっぽくなってきました。 でも他の何を忘れたとしても、私たちを正しい道へとガイドしてくださる神さまのみことばは、いつもいつまでも覚えていて、それを基盤に行動する者でありたいと思います。 ともに祈って歩んでいければ感謝です。 

投稿者 yamakyo : 2008年02月01日 21:32

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