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2009年04月13日

イースター

「不埒なキリストの弟子」

今日は素晴らしいイースターでした。イースター礼拝に加え、転会式、洗礼式、食事会、墓前礼拝と、盛り沢山の日曜日でした。キリストが復活された日をお祝いする日ですから、多彩なプログラムと共に本当に充実した主日でした。

 実は、告白します。クリスチャンである私は、実は今日のイースターを迎えるにあたり「良いクリスチャンらしく」ちょっとは主イエスに感謝の気持ちを表すために、主が十字架につけられた金曜日から復活されるまでの日曜日の3日間だけは禁酒しようと考えました。飲酒が悪いとは言いませんが、「酒と主イエスを選ぶとすればどちらを選ぶか?」と考えると、「良いクリスチャン」としては勿論3日間ぐらいは飲酒をやめ、主イエスを選んで禁酒できるはずです。毎日晩酌をする私も「キリストのために禁酒はできる!」と考えていました。

 禁酒初日は木曜日の夜。この日の夜に飲めば主が十字架につけられた金曜日まで酔っぱらう事になるので、禁酒を願う「完璧なクリスチャン」としては木曜日の夜から禁酒するべきです。でも不埒な弟子である私は、「早朝から長時間仕事をした私に対し、その労働を主は祝福して下さる。長時間の仕事の後の酒一杯は、主が下さる祝福だ!感謝して頂けば良い。」と決めつけ、木曜日の禁酒は失敗。

 金曜日の早朝レトリバー犬の息子、J君を連れて散歩中、情けない気持ちでいっぱいでした。「今日こそは主が命を私に捧げ十字架にかかって下さった日なのだから、禁酒は問題なく出来る」と確信していましたが、結局夕方のJ君散歩時には「今日も、主に感謝して酒を頂けば良いだろう。酒も神様が我々に与えて下さったもの。」と自分で納得して、禁酒は断念。もうここまで来ると禁酒の「断念」は、いともたやすい事で、もちろん土曜日の夜もお酒を頂きました。

 私は不埒なキリストの弟子。たかが3日間の内、1日も禁酒できませんでした。このような私を、本当にキリストは受け入れてくれているのでしょうか?「私の弱さを十分理解した上で、キリストはそれでも私を愛して下さる。」と言うのは簡単で、安易でしょう。そればかりか、自分の弱さをキリストの愛で正当化しています。キリストもその深い愛を言い訳に、自分を正当化する弟子を一番嫌う事でしょう。

私は私へのキリストの愛に心から感謝しながら、その愛に応えることができない自分をどうする事も出来ません。自分自身の行動を、自身が制御できない情けなさでいっぱいです。でも今日のイースターに起こった様に「死んだキリストが生き返る」と言う、我々人間の常識や科学知識の範囲で理解する事は「不可能な事」を、「可能」にする主が本当に存在するのであれば、私の弱さなどいとも簡単に解決してくださる事はいとも簡単です。

 私たちの常識をはるかに超える主に全てを望み、私の数々の問題を全て委ねて、全能の主と共に歩んでいくことを、今日新たに決心しました。


投稿者 bethany : 2009年04月13日 05:57

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コメント

めっちゃ素敵なあかしですね。
ズドンって響きました!
ありがとうございます。
私も全てをゆだね感謝して今日もイエスさまとともに歩きます♪

投稿者 naho : 2009年04月17日 11:16

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