レイコ夫人のことば

無事に着きました!

愛する教会の皆様。私達は昨日夕方、無事にテネシーに着きました。主人は皆様のお祈りに支えられて来たと言うしかありません。色々ありましたが、守られました。本当にありがとうございました。こちらはとても寒いです。主人の両親のアパートはとても小さい為、近くのモーテルに宿泊しています。ダイニングがありますので、朝昼はこちらで食事をし、昼から両親の家に行くつもりでいます。皆様の為祈っています。特に悲しみの中におられる家族の兄姉を思います。寒さに向かいますね。どうかお体大切にしてください。心から祈っています!RS



(幸いな人)から

 以下、昨日のディボーションガイド「幸いな人」からの抜粋です。

 知り合いが自分の救われたきっかけを話してくれました。
 「私が学生だった頃、科学の授業で先生がキリスト教を批判しました。
 先生は聖書はおとぎ話のようなものであり、神などいないと言い切りました。
 そして『君達は賢いので、そんなバカな事を信じないだろう』と言ったのです。
 すると、私のななめ前に座っていたある生徒が手を挙げて、『僕は信じて
 います』と言いました。
 先生は彼を馬鹿にし、色々な質問を投げかけましたが、彼は恐れることなく 
 自分が信じている神様について、はっきりと話しました。
 先生はとても不機嫌になり、『もし神が存在するなら、この試験管を落とした時
 神はそれらを割らないようにすることができるのか?』と尋ねました。
 シーンと静まりかえった教室の中で、『もし神様が願っているのなら出来ます』と
 答えました。
 先生が『なら落としてみるぞ』と言うと、彼は『まず祈らせてください』と言って
 声を出して祈り始めました。『神様、あなたが願っておられるのでしたら、
 あれが割れないようにしてください』
 祈り終わると、みんなが見ている中、先生はその試験管を軽く上に投げました。
 すると、試験管はゆっくりと回りながら先生の靴の上に落ち、割れることはなかった
 のです。
 その出来事を目の当たりにした私は、すべてを従わせ、試験管を割らないように
 さえできるこの神様は本物だと思い、教会に通うっようになり、救われたのです。」


 先日4人の日本人にノーベル章が授与されました。素晴らしいことです。
 けれども神様を認めない賞にどれ程の価値があるのでしょうか・・。
          
                                            RS



すばらしい証し

mckさんのみ言葉に裏付けられた証し、感動しました!ありがとう! クリスチャンにとって神様に語られる事ほど感謝な事はありませんね。「わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。またわたしは彼らを知っています。そして彼らはわたしについてきます。ヨハネの福音書10:27」 今日もイエス様のお声に従って歩いていけますように。

Reiko



洗礼式

 久しぶりの書き込みです。
 桜が花を咲かせるのをむずむずと持ち構えているようです。もう一週間もすれば、一斉に咲き始めるのでしょう。「長い冬が終わったよ。さあ、咲くよ!見ててね!」 もし桜が話せたら、そんな風に言うのでしょうか?
 先週の日曜日は受洗式がありました。本当に嬉しかった・・感動しました。 受洗されたMさんは5歳の時ポリオにかかられました。彼はそのことを「感謝だった」と言いました。なぜなら、それが彼を造り主である神様に導く大きな動機となったからです。50年過ぎて、彼は、その造り主なる神が、聖書の神であることを知られたのです。
 Mさんの証詞を聞きながら、私は水野源三さんを思い出していました。彼は9歳の時、赤痢の熱で寝たきりになり、話すこともできなくなりました。皆さんは、水野さんをご存知でしょうか?彼の詩を一つご紹介しましょう。

        悲しみよ 悲しみよ 本当にありがとう
        お前が来なかったなら つよくなかったなら
        私はいまどうなっていたか
        悲しみよ 悲しみよ おまえが私を 
        この世にはない 大きなよろこびが
        かわらない平安がある 
        主イエス様の みもとに
        つれて来てくれたのだ

 今日も皆さんの上に神様の必要な力、慰め、平安がありますように・・・

 



「共に喜び、共に悲しむ」

人には様々な導きというものがありますね。そしてそれは、みんなが同じではないのですね。でも、一人一人が神様の前に高価で尊い存在である事は間違いありません。又、キリスト教は御利益宗教ではありません。でも「あなた方の願い事を神に知って頂きなさい」と聖書は語ります。だから私達は自分の為に祈り、人の為にも祈ります。そして神様が応えてくださったら、共に感謝します。教会は「喜ぶ者と共に喜び、悲しむ者と共に悲しむ」神の家族なのです。RS



おめでとう!ありがとう!

Kちゃん、合格おめでとう!嬉しかったです。だって私の後輩になるんですから☆よく頑張ったね!神様のご褒美だよ。礼拝をおやすみすることなく、Kちゃんを送り向かいし続けたお母さん!神様のご褒美です。本当におめでとうございます!
山京さんらしいメールありがとう!人生の一発逆転劇も・・あるんですよね!イエス様は私達に失望してはならないことをあの不当な裁判官の例えで教えてくれました!いつも主に期待して歩みたいと思ったことです。
お二人の書き込みに思わず私も書きたくなりました!
RS



お祈り感謝します!

アメリカからお便りします!いつも主人の為に尊いお祈りを心から感謝します!様々な検査を終えて、ようやく主人の手術の日が決まりました!9月27日の午後一時からです。日本時間では、28日の午前2時です。ベッドに入る前に覚えてお祈り下されば幸いです。また、それまでの間、体調が整えられますようにお祈りよろしくお願いします。まだまだ日本は暑さが続いているのでしょうか?お一人一人の体調も守られますようにお祈りしています。(レイ子)



アメリカから・・

皆さんお元気ですか?私達は無事アメリカのベサニーに到着しました。中学生のホームステイが昨日から始まりました。みんな元気でアメリカの生活を楽しんでいます。主人は昨晩、22年前に病気をした時祈って頂いたブロッキー先生に再び祈って頂くことができました。体調も守られ ています。どうか続けてお祈りよろしくお願いします。RS



今晩は!

皆さん、お体守られていますか?牧師である主人から何か証しを書くように促されました。が・・今、私はある闘いのただ中にいて何か良い事書けるのか心配。自分がこんなに弱かったとは・・正直、参っています。私のその敵は見えないのです。見えない敵との闘い・・言い換えれば信仰の闘いです。ふと今日、昔手に入れたジョージ・ミュラーと言う人の「信仰」と言う本を読み始めて、とても考えさせられています。彼は信仰についてこんな事を書いています。「見る事を止めた時が信仰の働く時である事を忘れないようにしましょう。困難が大きければ大きいほど、信仰は働き安くなります。」・・彼はすごい信仰の人 でした。この信仰で、孤児院を運営し、63年間で、祈りによってのみ経済的必要が満たされ、およそ一万人の孤児の世話をしたそうです。「自分の信仰の限界で神を束縛してはならない事を学んでからというもの、73年に渡り神のみ座に近づいて、てぶらで帰って来たり、神からの供給が底を尽く事はなかった」・・本当に信仰とは何だろう。信仰の真価を問われる時、私はどこまでしっかり立てるのだろう・・私は見えない敵を必死にみたい
と目をさらのようにしているのだろうか・・とか考えている・・。或いは、考えてばかりいる事自体、信仰ではないのでないか?そして今、私が出しつつある結論は、信じる事を選ぼう・・与えられていると、私の内で叫ぶ声(み言葉)を握りしめてみようと言う事です。 何だか支離滅裂な文になりました。わかって頂けないかも・・。でも、これで、牧師先生のお願いに応じられたのは感謝。では、私のこの選択から学んだ事を、又、お分かち出来る時が来るようにと願いながら・・皆さんの上に神様の祝福を祈りつつ。RS



父の日

昨日は父の日礼拝でした!すでにお父さんを天に送った方々もいらっしゃるでしょうが、私達には霊の父なる神様がおられ、いつも私達を励まし慰め、必要な訓練を与えて下さる事を確認できた感謝な礼拝でした。普段家族の為に頑張って下さっているお父さん達に、感謝を込めて、紅白饅頭が配られました!昨日、来れなかったお父さん達は残念でしたが、今日も神様の恵みが豊かでありますように。RS



感謝!

真弓さん、お証しありがとう☆昨日はナースリーの奉仕がありメッセージを聞く事できなかったのですが、礼拝後、結構沢山の方から同じような証しを聞きました!神様がたくさん語られたすばらしい礼拝だったのですね!イエス様のお叱りも又幸いなことですね☆私もメッセージのCDを聞きます!礼拝、来れなかった皆さん、CD貸し出しています。是非聞きましょう!この恵みを逃すのは勿体無いですよ!



ペンテコステ礼拝

昨日のペンテコステ礼拝は、神様の恵みいっぱいの礼拝となりました。洗礼を受けられた悦子さんは、その前日まで戦いがありましたが、無事、ご家族全員の出席者の中、受洗されました!感謝☆これからのクリスチャン人生が祝福に満ちたものでありますように。又昨日久しぶりに来られた兄姉、よくいらしてくださいました!ゆっくり話し出来なかったですが、ぜひ続けて、一緒に主を礼拝出来ますように。新しく来られた兄姉の出逢いも感謝します♪今日もお一人一人の上に神様の守りがありますように。



ペンテコステ礼拝

5月27日の日曜日は、ペンテコステ礼拝です!洗礼式と昼食会があります。ぜひ、ご出席ください。(ペンテコステ礼拝:イースターから五十日後、使徒達の上に、イエス様の約束通り、聖霊が 下りました。その日を記念して礼拝する日です)皆さんの来会をお待ちしています!



ハイキング

ベタニア会(婦人聖書勉強会)では、今週火曜日、教会近くにある堺自然ふれあいの森へハイキングに行きます!ぜひ、参加してください!当日午前10時半に、お弁当持参で集合して下さい☆美しい若葉の散策を楽しみましょう!レイ子



アッパールーム

今週の木曜日午前10時からアッパールームがあります。アッパールームでは、ディボーションで学んだ事や考えた事を分かち合っています。ガイド「幸いな人」を中心に行なっていますが、どなたでも参加できます。☆最近、聖書からも遠ざかっている人、何となく神様から離れていると感じる人もぜひ参加して下さい!(アッパールーム:十字架に架かられる前に、イエス様が弟子達と食事をした二階の広間の事です。)



おめでとう!

5月3日は、登山クラブでした。笠脇兄が100回登頂を達成されました!おめでとうございます!これからも楽しい登山クラブでありますように。皆さんもぜひ参加して下さいね。いつもは第2月曜日に登っています。今月も登ります!新しくチャレンジしたい方、お声かけてください☆



メンズサパー

今晩は。今日はメンズサパーがありました。アメリカンスタイルのシチューとベーキンパウダービスケット、デザートはブラウニーとタピオカカスタード・・おいしかったです。ゲストは諸岡氏。(彼はオリジナル曲をいくつも書いておられます!)すばらしい証詞と賛美をして下さいました!9時に集会は終わりましたが・・「まだ帰りたくな〜い」グループは、結局10時半まで語り合い!!もうひと賛美をして、家路に向かいました。(^-^)主にある交わりは本当に楽しい!明日も一緒に礼拝できるのが嬉しいです☆では、皆様、おやすみなさい。



文字化け

昨日、コメントをして下さった方、ありがとうございました。ただ、文が文字化けしていて読めませんでした。ご確認してもう一度トライしてください!



ニューライフ20周年記念コ ンサート

こんばんは。今日はニューライフの20周年記念コンサートに参加しました。ゲストは森繁昇さんでした♪イエス様を一人でも多くの方に伝えたいと言う彼の心が伝わる素晴らしいコンサートでした♪今年の夏、キャンプで彼の賛美を聴くことかできます!皆さん、ぜひ、ご参加ください。



来週のミニB会変更のお知 らせ

来週の木曜日午前11時に予定していましたミニB会は、都合で今度の日曜日礼拝後に変更になりました。ぜひ礼拝からご参加ください!昼食を共にします!皆さんにお会いできるのを楽しみにしています。



墓前礼拝

昨日はイースター礼拝でした!朝8時半から、教会墓前でニューライフ教会の兄姉と共に素晴らしい礼拝を持つ事ができました!ドウゲン先生がメッセージをして下さいました。「このお墓に納められているのは、愛する兄弟姉妹の亡骸であって、魂はすでに天国です。ここにいる私達はいずれ死を経験します。その時イエス様にある希望を持っている事は何と素晴らしい事でしょうか?」お母様を先に天国に送られた三人の娘さんとご主人が賛美されました。その賛美は、まるで青空に吸い込まれ、天国まで響いているように感じられました☆主を知っている幸いを思います!ハレルヤ☆



イースター礼拝

来週の日曜日はイエスキリストの復活をお祝いするイースター礼拝があります!是非ご出席くださいますよう、ご案内致します。8時半〜墓前礼拝(金剛生駒霊園・河内長野 10時半〜礼拝 礼拝後、昼食会(無料)皆様のお越しをお待ちしています!



昇天

先日書き込みをしましたN兄は、3月29日召されました。今週月曜日に病床洗礼を受け、火曜日にお誕生日会、そして木曜日に緊急入院、その日の午後9時に家族全員に見守られて、愛する主の元へ凱旋されました。この一週間を振り返るとはっきりと主の御手の軌跡が見えてきます。もう地上ではお会いできない悲しみを思います。同時に天国がうんと近づいて感じられるようになります!ご家族への神様の慰めを祈りましょう!



ハレルヤ!

今、N兄の病床洗礼を終え、帰りの車中でこのメールを送っています。洗礼は、神様の祝福いっぱいの中、無事終わりました!神様のご愛を再確認する素晴らしい洗礼式でした!「この首がとばされても、信仰を守り通す」とN兄。どう表現していいのかわからなかったのでしょうが、命の限界を告げられたとは信じられないような明瞭なことばに、そこにいた私達全員が圧倒され、拍手が起こりました!皆さんのお祈りを心から感謝してご報告します♪



人生・・考えます。

今、主人と私はMちゃんの結婚式に向かっています。この新しいカップルに祝福がいっぱいあるよう祈りながら車を走らせています。一方、昨日は命の限界を告げられた方のお見舞いに行きました。家族の方々の痛みを感じて帰って来ました。とても複雑な気持ちです。けれどもこの二つの状況に、同じ言い尽くせない感謝があります。それはいずれにも神様の臨在があること。イエス様、ありがとうございます!



神様はすばらしい!

今日はいい天気でしたね♪先日の事なのですが、昨年父の畑に植えた「ふき」が、冬にすっかり枯れて、もうダメかな〜と思っていたら、なんと小さい葉っぱがあちこちに出ていたんです!神様はすごいですね☆もう数ヶ月したら、ふき料理を礼拝後の昼にご馳走できそうです。お楽しみに☆



はじめに

この度、ベサニーホームページに
「牧師夫人の部屋」
なるものを載せたいので何か書いて下さいと仰せつかりました。
「えっ?!何を書けばいいの?」と一瞬戸惑ってしまって「少し祈らせて・・・」と言ったものの、
その熱心さに負けてしまいました。

さて、何を書きましょう?!
「牧師夫人の心得」なんて書くにはあまりにも未熟ですし・・・。
と、考えて・・・。

私の救いの「あかし」を少しずつ書かせて頂くことにします。

 実は私は、今私達の教会の立っているここで生まれました。
まるで、キリスト教の影響などひとかけらもない、
この田舎で育ちましたが高校の時、興味を持った「英会話」がきっかけで、
高校の近くにあった教会に通い始めたのでした。
無料で英語を教えて下さったのは、ノルウェーから来られていた宣教師の先生でした。
一時間の英語のレッスンの後で、聖書を教えて下さったんですね。
そのうち、人間は本当に罪人なのだと解りました。
そして、私もまた、人には見えない心の中に罪が満ちている事が解ったのです。
そんな中で、イエス様の決定的な出逢いがやってきたのです。



イエス・キリストとの出会い

キリスト教とは何の関わりも無かった私が英語を学びたいだけで行った教会で
「人間は罪人」そして、「私の心にも、汚い思いがたくさんある事」を知ったのです。

そんな私が、イエス様を真正面にお迎えしなければならない決定的な時が来たのです。
それは、聖書に興味を持った私が、礼拝に時々行くようになって数ヶ月たった頃だったと思います。
母と大喧嘩をしたのです。
「お母さんなんか、死んでしまえばいい!」
母を呪って自分の部屋に閉じこもった時自分は何て情けない人間だろう・・・・
何て、惨めな人間だろう・・・・そう思えて来て、大声で泣き始めたのでした。

その時、この一点のしみも汚れもない、イエス様に始めて祈ったのです。
「イエス様、もし、あなたが教会の人の言われるように
本当に生きておいでなら、この惨めな私をお赦し下さい。」と。

その時です。私はその時の体験を忘れる事が出来ません。
「私は生きているよ。そして、おまえを赦してあげよう。
私はその為に十字架を忍んだのだよ。」との語りかけを心の深い所で聞いたのです。
その時私は赦される事の平安と恵みが、どれほど大きいかを知ったのです。

そして、短大の二年生の時、洗礼を受けました。その後私にどんな人生が待っていたのか。

それはこの次ぎに、書かせて頂きます。皆様も、このイエス様に出会われます様に。
心から祈りつつ・・・・



「Youth With A Mission.」(青年伝道団)とポール先生との出会い

私が洗礼を受けた頃、梅田で「Youth With A Mission.」という青年伝道団チームの人達が、
クリスチャン・コーヒーハウス(オメガといいました)をしていて、
そこには、あちこちから若者達が集まって来ていました。
彼らは、駅前でトラクト(教会の集会案内等を書いたちらし)を配ったり
「シングスピレーション」という (今の*PPHのようなもの)
賛美集会をしたり積極的に伝道活動をしていました。

*PPHの意味は:

P Prayer  祈り          
P Praise  賛美          
H Hour   一時間 祈りと賛美の集会
そのオメガのリーダーが、今の私の主人、Paul Sunde(ポール・サンデ)でした。


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この人達は今何処に?これを見ていたら連絡してね!

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昼のコーヒーテーブルは夜はベッドに・・・・

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Paul、大親友の「しんちゃん」と

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毎週水曜日ライブをしていました

私はそれまで、ただ礼拝に(それも行ったり休んだり)
出席しているだけのクリスチャンでしたから彼らの神様への姿勢に、
本当に圧倒されてしまいました。
「どうして、彼らはこんなに生き生きしているんだろう・・・・」
というシンプルな疑問が私の足をいつも、そのコーヒーハウスへ向かわせたのです。

道端でも、マグドナルドでも、大きな声で祈る主人に、
少し恥ずかしいと思いつつ素晴らしいなぁ・・・・と思うようになりました。

当時の主人の写真を公開します。また、オメガの写真も数枚ご覧になって下さい。
そして・・・・主人と結婚に至ります。



国際結婚?!

主人と出会ってしばらくする頃、導かれて結婚を考えるようになりました。
国際結婚と言う事もあり、田舎で育ち、外国の人をテレビや映画以外では見た事もない両親にとっては驚きと戸惑い以外のなにものでもなく、当然賛成などしてくれるはずがありませんでした。

私達に残されたのはただ、祈る事だけでした。

そして4年が過ぎ、ようやく両親の賛成を得、結婚に至りました。
開拓伝道に導かれた主人は、自分の卒業した神学校のミッションに入る事を決めその準備の為、アメリカにしばらく戻ろうとしていた矢先私の母が20日ほどの患いで突然召されたのです。

私はこれから、主人と共に、神のご用をする事を考えていたのに・・・。そこにはもう、神のご計画やご愛が見えなくなってしまいました。そして、不信仰に落ちて行ったのです。


—————T・Kさんのこと——————

T・Kさんは今95歳。いや、もう少しお年をめされているかしら。
素晴らしいクリスチャン婦人です。今はお体も弱って、床につく日々を過ごしておられます。
いつも輝いておられる、クリスチャンの大先輩です。礼拝では、お耳が遠いので、一番前に座って説教を聞いておられました。そして、必ずその日のメッセージにコメントして下さるのでした。
(牧師もそれを楽しみにしていました。)
「牧師夫人は、教会に来られる方々をただ、愛すだけでいいのです。」それが彼女の口癖でした。
けれど、いつもいつもそれを忘れてしまう、牧師夫人失格の私です。
T・Kさんの人生のラストスパートに私は祈りを持って応援しています。



ベサニー神学校での学び

母の死に何の意味があるのだろう。
一年間の神様との闘いの後、ベサニー本部(アメリカ・ミネソタ州)に行く事になりました。
それは、私の霊的・精神的ダウンを見て、主人が出した結論でした。

 ベサニー神学校で一年の学びが始まりました。
けれど、私の心の中には依然として「何故?」という質問の答えはなく神様の愛の見えないまま、頭だけの学びになって行きました。

ベサニー神学校は、ユニークな神学校で、午前中は授業が四時間あり、午後からは、印刷所・台所・庭の手入れ・事務所等での奉仕があります。
それらの奉仕をする事によって、授業料が無料になる訳です。
(ベサニーの写真を後日ご紹介しましょう。)

話が途切れてしまいましたが・・・・悶々とした神学校での生活の中である日、チャペルで一人座って
聖書を力なく開いていた時、主の語りかけを聞いたのです。



みことばが与えられる

チャペルはシーンと静かでした。
他の生徒達は午後の奉仕に。私は前日、夜働いて午後はお休みだったのです。
ぺらぺらと聖書を開いているうちに、目に止まったみことば・・・・
ヨハネ3章16節。クリスチャンにとっては、あまりにも有名すぎる聖句です。

神は実にその一人子をお与えになったほど世を愛された。
それは御子を信じる者が一人として滅びる事なく永遠の命を持つためである。

その時ハッと気付いたのです。
母は皆からの手厚い看病を受け、病院の中で医師達の一生懸命な治療を受けていた。
けれどイエス様は、もてる愛すべてで愛した弟子達に裏切られ
一人であの十字架の道を歩まれたのだと・・・・。
涙がとめどもなく溢れて来て「主よ。赦して下さい。
私の不平不満。もう母が何故、突然召されたかという理由は問いません。
主のご愛・・・・これが答えです。」と祈りました。
そして、主人に「日本へ帰ります。これで伝道出来ます。」と答えたのです。

そのようにして、私達の開拓伝道が始まりました。



拓伝道の幕開け

1981年、日本に戻った私達はまず、どこで開拓を始めるか祈りました。
答えはすぐに出ました。亡くなった母の小さな駄菓子屋が空の状態であったのですから・・・・。
しかしながら、ベサニー本部は、私達を日本へ送り出してくれたものの、私達に送られてくるお金では 到底、生きていく事は出来ません。

そこで、私が中学生と小学生のための塾を、主人がコンタクト作りを兼ねて、英会話クラスをする事にしました。

私達が開拓伝道をしようと言う事を聞いた、オメガ時代の友人達から、様々な献品が届きました。
まず、チラシ刷りのための輪転機、これは本当に助かりました。
来る日も来る日も、小学校の前に立って、教会学校の案内と、英語クラスの案内を配りました。
その後、説教台、ピアノ(カシオトーン)なども献品が届けられました。
そのうち、クラスで得た収入で、聖書10冊、椅子10脚、薄い聖歌(10〜15冊入った本)を買い 母の店の床にカーペットを敷いて、いよいよ、礼拝を始めたのでした。
本当に苦しい。でも、同じに本当に楽しい開拓伝道のスタートでした。



第一回目の礼拝

いよいよ、第一回目の礼拝が始まりました。
説教は牧師である主人。そして、その説教を聞くのは私一人でした。
時々、隣に住む父が礼拝に来てくれました。
そんな日が何ヶ月か続いたでしょうか、心の中は不安で一杯になってきます。

 幸い教会学校は祝され、近隣の子供達が10〜15名与えられ、教会に集まる様になりました。
クリスマス会は教会の礼拝堂が小さすぎて、地区の集会室を借りて行いました。
 そのうち英語クラスに来ていた方々が、時々礼拝に来てくれるようになりました。
そんな中で悲しい事が起きたのです。

   彼は私達の教会の第一号の受洗者になるだろうと思っていた方でした。
その方が突然召されたのでした。唯一の忠実な礼拝出席者でした。
いつも教会の玄関に立って、彼の緑色の車が向いた側の坂から降りて来るのを待ったものでした。

 礼拝出席者は少しずつ与えられたものの、なかなか受洗者が与えられないまま時が過ぎて行きました。
その時、アメリカの本部からインターン生を受け入れて欲しいという連絡が入りました。
亡くなった母の店を礼拝堂にし、私の勉強部屋という事で、父が建ててくれていた狭い離れに生活していた私達には、それは不可能に思えました。
でも、主人は「彼女のために部屋が与えられる様に祈ろう。」と言うのでした。



開拓伝道当時のアルバムから

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都会のはずれの小さな村の教会

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当時の礼拝出席者の皆さんと

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洗礼プールの工事。体力と気力でみんなが手作りしました

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当時の教会学校風景

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開拓当時の教会堂「名もなく貧しく美しく」

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当時のクリスマス会



本部からインターン生を迎える

開拓伝道を始めて一年がたち、ベサニー本部から、神学校のインターン生を送りたいという依頼を受けました。けれども、受けたくても彼女を泊める部屋がありません。
今まで必要な物は、主が恵みに恵みを加えて備えて来て下さいました。
主人は、主が必要なら彼女のための部屋も与えて下さると言い、祈り始めたのでした。

   そして、ある日その祈りは不思議な方法で答えられたのです。
ある牧師先生が娘さんのためにプレハブの家を建てたのだけれど必要なくなったと言うのです。
まだ新しく、そのまま取り外せば充分建て直せるとの事。
主は本当にことごとく私達の必要に答えて下さるお方です。

 早速、レンタカーを借りて出発しました。
一つ一つの柱に番号を書いて、それを大切にトラックに積み込みました。
そして、持ち帰った中古のプレハブは見事に私達の離れの小さなスペースに建てられたのでした。

 最初に送られたインターン生は、カレンというまだ、20歳そこそこの女性でした。
私達の家に入ったとたんに(カルチャーショック!)大きな靴を履いたままドカドカと畳の間へ。
その後、トイレのスリッパを履いたまま集会に出たり、ハンバーガー・バンズのつもりで買って来た「あんぱん」の中の「あんこ」を見て悲鳴を上げたり・・・・。
彼女は、宣教師の大変さを一年間充分学び、帰って行きました。
日本に帰って来る事はありませんでしたが、結婚してフロリダのCLCで働きました。
彼女は、日本に来て、出会った一人一人のために今だ祈って下さっています。
私達が本部へ帰ると、彼女は名前をあげてその方達の様子をたずねて下さるのです。

 この年から3年間、インターン生が毎年送られてきました。

 以下に彼女達の写真を掲載します。ご覧になって下さい。


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最初のインターン生カレンさん

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2番目のインターン生/左がキャシーさん右がジャネルさん

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3番目のインターン生ケリーさん



試練の時の始まり

3年に渡ってインターン生が送られた後、短期宣教師として、マーニー・藤井師が送られて来ました。
彼女は、日系アメリカ人をお父さんとして持つ女性で、若い人達にとって本当に良い働きをしてくれました。

彼女が来てしばらくしてからの事でした。主人がしばしば腹痛を訴え出したのは・・・・。
ある日、訪問してくれた恩師の一人が私達の友人に「ポールは絶対大変な病気になっている。
首に縄をつけても病院へ連れて行きなさい。」と言われ、その後それが私の耳にも入りました。
ちょうどそれは私も不安に思っていた事でした。
顔色も悪いし、しばしば起こる腹痛も妙だと思っていたのです。

その頃忙しくしていた主人を説得して、主人が子供の頃からお世話になっている、京都のバプテスト病院にやっと診察の予約を取ったのですが、その予約の日が来ないうちにある朝突然、主人はガタガタと震え出したのです。



試練を越えて Ⅰ

突然倒れた主人。私は当時滋賀県で牧会をしていた主人の父にすぐ電話を入れました。
主人の父は、京都バプテスト病院に連絡を取ってくれました。私は慣れない車を走らせて京都へ向かったのです。

 すぐにレントゲンが撮られました。それだけでは充分ではないので、一晩入院して翌朝すぐに詳しい検査をするという事になりました。

 この検査入院の何日か前に、アメリカの主人のいとこから手紙を受け取っていました。
「叔母が腸癌になった。」と知らせを告げる手紙でした。
手紙の最後には「サンデ家には、腸癌の歴史があるから、今後異常があった時はその事実を医者に言うように。」と書かれていたのです。

 入院したその夜、私はその手紙の事、特に最後に書かれていた文章を繰り返し読み、何度も何度も考えていました。「主よ。主人に何か起きるのでしょうか? そして、それを前もって知らせるためにあの手紙を私達に送られたのでしょうか? どうか、共にいて下さい。」

 眠られない夜、祈り通しました。
そして翌日、検査の日を迎えたのでした。



試練を越えて Ⅱ

いよいよ検査の朝が来ました。
主人は比較的元気を取り戻して、検査室の中へ入って行きました。
20分か25分か過ぎた頃でしょうか、一人の看護婦さんが検査室から出て来られました。
よく見ると、見た事がある顔・・・・それは、私が以前、聖書学校の短期コースを取った時、一緒に学んだ姉妹でした。

 彼女もベンチに座る私を見つけ「どうしてここに居るの?」と尋ねてくれました。
私が、「主人が検査のため、ここで待っている。」と伝えると、彼女は「ご主人って、外人の方?」と聞きました。「そう。」と答えると、彼女の顔は、みるみる困惑した様になりました。
その顔から、検査の結果が普通ではない事ぐらい、すぐに判断がつきました。

 しばらくして、担当の先生が出て来られて、「大腸に小指の先ぐらいのポリープがある。」と説明して下さいました。ポリープと言われたけれど、それが癌である事に、先程の看護婦である姉妹の顔から明らかでした。

 医師は、しばらく体力をつけて後、手術となる事を告げて行ってしまいました。
不安と同時に「癌でも小指の先ぐらいの小さいものだったら、大丈夫。」と自分に言い聞かせて、すぐ入院と言う事で病室に移された主人に、医師の言われた通り、説明したのでした。



試練を越えて Ⅲ

入院して一ヶ月が過ぎ、いよいよ手術の日を迎えました。
その日は朝から雨で、気持ちも沈みがちでしたが、駆けつけてくれた主人の両親と共に祈りの時を持ち、主人は平安のうちに、手術室に入って行きました。

 手術は二時間程で終わりました。
しばらくして家族が呼ばれ、主治医のお話を聞く事になりました。
「小指ほどのポリープと思われていたものは、実は悪性であった事。また、それは直径8cmもある腫瘍で腸管の外に出来ていて、腸壁を破っていた事。そして、それが膀胱まで根のように広がっていて、全てを取り去る事が出来なかった事。」が告げられ、「秋には再発し、今年いっぱい持つか解らない。」と、全く絶望的でした。
でも、主治医の説明を聞きながら、「神様。尚あなたは生きていらっしゃいますよね?」と心は叫んでいました。

 しばらくして、麻酔から覚めた主人は「手術はどうだったか?」と聞きました。
私はポリープと思われていたものは、悪性の癌である事とそれは取り去られた事だけを伝えました。
主人は「感謝やな。」と泣いていました。

 それから始まる一年間は私にとって戦いでした。



試練を越えて Ⅳ

手術後だんだん力を得て来た主人を見て、私はある日主人に本当の事を告げました。
すべて取れたと思っていた癌は、実は大きすぎて一部は残った事、また医師は再発もあり得ると言っているという事を。さすがに今年いっぱいの命とまでは、言う事が出来ませんでした。
その時から主人は神様に向かい直し、御心を問い始めたようでした。

 そんな時、ベサニー本部からブロッキー牧師が来て下さったのです。彼は飛行機の中で「雀の一羽も主のお許しなしには落ちる事がない」という、マタイ10:29を与えられておられて、癒しのためのお祈りを捧げて下さったのです。主人は、その癒しの祈りを受け取り、「自分が召されるのは今ではない。」と信仰を持って私に語ってくれました。私も、そのみことばにしがみつきました。

 入院して3ヶ月後、ようやく退院という事になりました。
説教も毎週ではなかったですが出来るようになりました。けれども時々強い痛みがあって、説教を中断し皆に祈ってもらって講壇に戻るという事もありました。
信徒の方々の配慮で、3週間の休暇を頂き、主人は近くにある、キャンプ場のバンガローを借りて、森の中を歩いたり、川辺で本を読んだりして過ごす事が出来ました。幸い、教会からそのキャンプ場までは車で30分ほどで行くことが出来ました。私はそこから教会に通う事が出来ました。
けれどその間にも、主人の痛みは続いていたのです。



試練を越えて Ⅴ

痛みは食べ物が通り難いために起こるようでした。
「癒された」と信じた主人の信仰はそれでも変わる事がありませんでした。
戦いは私の不信仰にありました。お腹が透明で「癌がない」のが見えたらどんなに良いだろうとさえ思えて来たのです。

「神様。私の不信仰を赦して下さい。見ないと信じない者を赦して下さい。でも、もう疲れました。主人が本当に癒されるているならその証拠を見せて下さい。」と祈ったのです。

それでも相変わらず、痛みはおさまらず結局、再入院・再手術という事になりました。
また辛い検査が始まりました。腸のレントゲンには糸のように細くなっている所が映し出されていました。
誰もが癌の再発を疑いました。結局、医師が始めに言われた「秋に再発。今年いっぱいの命」は的中したように思えました。
いよいよ2度目の手術になりました。

この頃、べサニー本部より一組の宣教師夫婦が送られて来ました。私にとってこの夫婦は大きな励ましとなりました。

手術が終わり、医師が私達に告げたのは・・・・・。



終結 喜びの再スタート

眼鏡をほとんど落としそうにして出て来られた医師が私に告げたのは「何処にもありません。調べられる限り、お腹を見ましたが癌は見つかりませんでした。痛みは癒着から来ているものです。」という事でした 私は自分の不信仰の罪を思い「主よ。見ないと信じないと言った事をお赦し下さい。けれども、そんな祈りにも答えて下さり、不信仰を憐れんで下さり、こんな形で癌からの開放を伝えて下さりありがとうございました。」と思わず叫んでいました。

 あの時から14年が過ぎようとしています。
伝道に行き詰まりを感じる度に、そんな私達をも生かして下さったのだから、主が私達でもお要りになるのだ。」と確信出来るのは、この経験があったからだと思います。

 神様は確かに生きておいでです。そして、私達の小さな信仰を支えて下さいます。それを少しでもおあかし出来たらと切に願っています。